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岡山後楽園の雨の情景を記録するページ

延養亭の雨風情
2007年7月4日(水) 雨模様

画像は岡山後楽園 二大農事祭「お田植え祭(おたうえまつり)」 3日後の様子。

唯心山より沢の池を右手に見ながら 延養亭 を望むもの。

さて、後楽園といえば岡山後楽園と小石川後楽園(東京都)。

ともに中国宋時代 范文正の「士当先天下之憂而憂、後天下之楽而楽(先憂後楽)」が名称の由来。

小石川後楽園と野球場 「後楽園」から野球場をイメージする都会びと

後楽園 雨の情景
岡山後楽園は1687年(貞享4年)、当時の藩主 池田綱政公により築庭開始。

家臣 津田永忠氏の労により1700年(元禄13年)、「林泉回遊式借景庭園」として整えられました。

また、庭園中央に位置する小高い唯心山(ゆいしんざん)は景観を立体的に愉しめるよう、次代の継政(つぐまさ)公が手を加えたもの。

唯心山より望む雨の井田
一方の小石川後楽園は1629年(寛永6年)、水戸徳川家の初代藩主 徳川頼房公により築庭開始。

その後 二代藩主、彼の光圀公が明の儒学者 朱舜水を登用して完成させた「回遊式泉水庭園」。

平成10年、小石川後楽園の改修では松平新太郎(後の岡山藩主 池田光政公)が江戸城外堀普請へ納めた備中藩山崎家の刻印入りの石垣が使われており、岡山後楽園と小石川後楽園を結ぶ歴史のご縁を感じさせる面白い小話も作れそう。

後楽園の「井田(せいでん)」
画像は2007年7月1日(日)、雨慕情とともに執り行われた岡山後楽園の「お田植え祭」。

そうして「先憂後楽」の意を調べ、「長たる者、その治まりより民の楽を見て、後に楽しむべし」と咀嚼する今。

素晴らしい後楽園の治まりに、ひたすら感謝するばかり。

鴨と燕と岡山城
「 自然と連れ添う天然農法 」

後楽園の井田(せいでん)にて合鴨農法ならぬ「真鴨農法」か!?

つまらぬ駄洒落に構わず、二羽のマガモがのん気に遊んでる。

いつまで待っても顔を上げない鴨と、入田しないパートナー。 横で素早くひるがえるツバメ返し。

そんな雨の情景を先賢は、憂うどころか後からそっと楽しんでいたのかも知れません(後楽園、先憂後楽のステキをレポート)。


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【編集後記】
岡山 栄町商店街の七夕風景
画像は7月7日、岡山のショッピングソーン 栄町商店街の七夕風景。

ふと、学生時代に暮らした東京 武蔵小山商店街を懐古してみたり。 どちらさまも下町情緒がいい感じ。 


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